市町村合併と文書管理を併せて考えるにあたって、まずは日本における合併の歴史を振り返ってみたい。現在の平成の大合併の他に、明治の大合併と昭和の大合併が存在することは読者も良くご存知の事と思う。
これら3つの大合併における市町村数の変化について資料1に示す。
資料1によれば、明治21年の町村数は71,314団体とある。この時代の町村は、幕藩体制期の社会組織、制度を色濃く残すものであった。
その後、明治政府は近代国家としての制度を次々と整える中で、明治22年に市制町村制を施行し、内務大臣訓令による町村合併標準提示に基づき、町村の標準的な規模を約300戸から500戸とする旧町村の合併を行った結果、市町村数がおよそ五分の一の15,859に減少することとなった。これが、「明治の大合併」の実態である。(明治5年の大区小区制や明治11年の郡区町村編制法の施行に際しても団体数の増減は有ったのだが、ここでは市制町村制の制定以前については省略する。)
明治の大合併の時代からおよそ60年、第二次世界大戦後の昭和22年、日本国憲法に基づく地方自治法が施行された。新たな時代のこの地方自治法においては、新制中学校の設置管理、市町村消防や自治体警察の創設の事務、社会福祉、保健衛生関係などの新しい事務が市区町村の事務に付加されることとなったため、これに相応しい団体規模と、またより高い行政事務の効率化が求められる事となり、昭和28年には町村合併促進法が施行され、続く昭和31年には新市町村建設促進法が施行されることとなった。両法による市町村合併の促進により、市町村数は昭和28年10月の9,868団体から昭和36年6月には3,472団体とおよそ三分の一まで減少している。これが、「昭和の大合併」にあたる。
昭和の大合併が一段落した後にも、更なる市町村合併の促進の為の法的措置がとられ、昭和の大合併時に較べ件数は減ったものの、全国各地で継続的に合併は続き、今日の「平成の大合併」の時代に到るのである。
平成の大合併時代と言われる今日は、国から都道府県、都道府県から市区町村へと分権化が進行し、市区町村においては事務量が増加する一方、ますます教育や福祉、環境問題などの行政サービスの広域化、高度化、多様化が求められる時代である。
他方、長引く不況の中、一部の団体を除く多くの市町村では税収の低下傾向に歯止めがかからず、財政は窮迫し、職員数の増員が困難な状況に陥っている。
このような時代状況の中では、より少人数の職員により、より効率的に行政サービスを充実する方策を考えざるを得ず、またこれを実現するコンピュータシステムの構築や施設面の充実などの為の資本投下の為には、より大きな市町村規模が必要となる。
以上のような背景の下に、平成7年4月に合併特例法が改定(市町村の合併の特例に関する法律の一部を改正する法律の施行)され、平成の大合併の時代に突入したのであった。
平成14年4月現在で3,218あった市町村は、3年後の平成17年4月には2,395団体にまで減少し、また平成18年3月には1,821団体となる見通しであるという。
今日までの大合併を振り返れば、明治の大合併は、近代国家としての日本の黎明期に、まさしく近代的な内治制度への変革の過程で起こったものであり、また昭和の大合併は日本が民主国家として生まれ変わる時期になされているのであって、2者ともに日本の国体が大きく変わる時期に起こったものであると言ってよい。
国体が変わるということは、広く国民一般の生活と意識に大変化が生じるということでもある。
では、前2者に並んで「大合併」と冠称される平成の大合併は、国体の変更を伴う時代背景を持っているのかと言えば、否であろう。
しかしこの時代が「高度情報化社会」へのちょうど入口にあたる時代であり、このことが実は、日本国民にとって国体の変更と等しいような生活上の大変革期であったと、もし後世から振り返って評価されるのだとすれば、平成の大合併もまた前2者と同様の背景を持っているということになるのではないだろうか。 |