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トップ 最新号 >特集3.高度成長期における市町村合併とファイリングシステム
3.高度成長期における市町村合併とファイリングシステム
 

昭和の大合併以後の日本は高度経済成長の時代を迎える。この高度成長の時代にも、ブームとまでは呼べないものの市町村合併が行なわれている。

昭和37年の「市の合併の特例に関する法律」、昭和40年には10年間の期限付の「 市町村の合併の特例等に関する法律 (合併特例法)」が施行され、その後この特例法は10年単位で延長され、これらの法律の下で平成13年5月までの間に152団体の合併が行なわれている。

高度経済成長の下、人口の中央又は大都市圏への集中が進み、特に大都市周辺のベッドタウン都市への人口集中が顕著となる。

全国的に道路交通網の整備が進み、また国民の生活水準の向上と所得の伸びを背景として、モータリゼーションの大きな波が起こり、従来の生活圏は市町村の枠を超えて広域化してゆくこととなる。

広域化する生活圏に対応するため政府は昭和44年に「新全国総合計画」を閣議決定し、具体的に広域市町村圏や地方生活圏が設定され、これに基づく財政措置もなされた。

その中で市町村相互の規模能力の格差や生活圏と市町村行政域との乖離が指摘されることになるのだが、この問題に対する根本的な対策は、平成の大合併の時代に持ち越されることとなる。(以上の記述は 滋賀県市町村合併推進支援本部 「市町村合併ハンドブック」に拠る)

この時期の市町村合併においても文書管理の統合と、これを合理的に行うことを目的としたファイリングシステムの導入が図られたであろう事は想像できる。また合併団体以外でも、人口が集中し都市自体の規模が膨れ上がった大都市近郊の団体においても、増加する一方の事務処理と文書量の増大への対策として新たにファイリングシステムが構築される例も多かったと考えられる。(どの程度の数の市町村が新たにファイリングシステムの導入を図ったのか、あるいは昭和の大合併期にかつて導入され崩壊したシステムをこの機に再構築を図ろうとしたのかの資料が発見できず詳らかではないが)

前述したように、三沢仁氏による「ファイリングシステム三訂」が昭和39年に発刊され、その中で割付方式に代わる「積上げ方式」が提唱されたのであるが、これがこの高度成長期の小合併時代のとば口で発刊された事は象徴的であり、この時期に導入されたファイリングシステムの分類方式の多くは前時代の「割付方式」ではなく、「積上げ方式」であったろうと思われる。またこれも推測であるが、現時点でそれなりに稼動しているファイリングシステムには、文書の保管形態として(バーチカル方式ではなく、)簿冊方式が採られているケースが一定比率で存在する事から、システムとしての簿冊方式の良否はともかくも、積上げ方式や簿冊方式といった、より抵抗感が少なく現実的で、職員の不自由さや窮屈さも相対的に少ないと考えられるシステムを、過去の教訓から採用したものと考えられる。

資料2では昭和44年〜57年の間のシステム崩壊数を示していて、高度成長期に採用されたファイリングシステムのその後がどうであったかを窺う事はできないのであるが、筆者の個人的に知る静岡県内に於いても、この時期に導入されまたこの時期に崩壊している団体がいくつか存在することから、全国的にも崩壊を招いた団体はそれなりの数有ったものと類推する。

昭和の大合併時の導入とその崩壊の原因を前章2−2−3の(1)、(2)として提示したが、この時期に導入され崩壊したシステムでは、上のように(2)にあたる部分は改良と工夫が加えられたものの、(1)の人的コストの面については前時代と変わることなかったと考えられ、専任の文書管理職員を文書管理主管課に恒常的に配置できた少数の団体ではシステムは生き延びたが、配置のできない多くの団体では、昭和の合併後の崩壊と同じ状況に陥ったものと考えられる。

 
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